「ソラ君、今日……ちょっと声、震えてなかった?」
チャトラが、モノと二匹でベランダに出たときに、ぽつりと言った。
「さっきの近所の人……少し声が大きかったやろ?」
モノはうなずいた。
「うん。でもな、ソラ君、『平気です』って笑ってたで」
「わたしも聞こえた。でも……あの笑顔、ちょっと苦しそうやった」
ふわ、と夜風が通り抜けた。
「ソラ君、小さい頃、誰かに怒鳴られたことあるんかな?」
モノがそっと言った。
「うん……ちょっとだけ聞いたことある。『大声がこわい』って。
それ以上は、なんも言わんかったけど」
ふたりとも黙り込んだ。
夜の静けさの中に、ソラの記憶が滲んでいるような気がした。
その夜。
ソラ君は、一人で窓際に座っていた。月明かりが、うっすらとソラの毛並みに影を落としている。
「ソラ君……」
モノが声をかけると、ソラ君は振り返り、微笑んだ。
「……昔、あったんだ。大声で怒鳴られること」
「……そっか」
「何かあるたびに、びくってして……『怒られる』って思っちゃうんだよね」
モノもチャトラも、何も言わずに、ただ隣に座った。
しばらくの沈黙のあと、ソラ君がぽつりと言った。
「『怖かった』って、言えるようになるまでに……すごく時間かかった」
「……言ってくれて、ありがとう」
チャトラの目が、やさしく細められた。
「記憶ってさ、なくなったわけじゃなくて……
ずっと身体のどこかに残ってるんだと思う」
「うん。思い出したくないのに、急に浮かぶよな。においとか、声とか、空気とか」
モノがそっと言った。
ソラ君は目を閉じて、呼吸を深くした。
「でもね、今は……ふたりがいるから。大声聞いても、逃げ出さずにいられる」
「ソラ君……」
「『だいじょうぶ』って言われた記憶も、積み重なってきてる。たぶん、それが、癒しってことなのかなって」
モノは、静かにうなずいた。
「そうやな。記憶は消せへんけど、『今の安全』を、身体が思い出していけるんやと思う」
「だから……これからも、そばにいてね」
「もちろんや」
チャトラが、ふふっと笑った。
「うちら、ずっとそばにおるで。怖かった記憶よりも、あったかい記憶でいっぱいにしてこ」
モノとチャトラより、あなたへ
トラウマ記憶とは、『心が傷ついた経験』が、無意識に身体や感情の反応に残ることにゃん。
大きな声を聞いてびくっとする。
何気ない言葉で心がざわつく。
それは「過去に似た体験」に対する防衛反応かもしれないんだにゃ。
でも、新しい経験によって、記憶は上書きされていく。
誰かの「だいじょうぶ」という声。
信頼できる人との静かな時間。
そうした体験が、少しずつ、『もう安心していいんだ』と、心と身体に教えてくれます。
どうか、あなたも今の自分にやさしく、
安心できる関係の中で、『記憶の癒し』を育てていけますように。
筆者のことば
私たちの「心」と「身体」は、思っているよりずっとつながっています。
とくにトラウマ記憶は、“思い出したくない”記憶であっても、神経系の反応に残ることがあります。
それが、何気ない日常で、ふいに身体の反応として表れることがあるのです。
ちょっとした音、匂い、雰囲気で過去の体験を“現在”と錯覚し、同じ身体反応が再現される。これを「トラウマの再体験」または「トリガー反応」と呼び、脳ではなく身体が覚えている状態とも言えるのです。
そんなとき、「また過去に戻ってる」と責めるのではなく、
**“今は大丈夫”**という安全を、自分に何度も伝えてあげてください。
そのくりかえしが、過去を塗りかえていきます。
どうかあなたの中にも、あたたかい記憶がひとつ、またひとつ、増えていきますように。
心のワーク
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自分がびくっとする場面、反応してしまう場面をひとつ思い出してみてください。
-
そのときの身体の感覚(息苦しさ、胸のざわつきなど)にそっと意識を向けてみましょう。
-
自分自身に「だいじょうぶだよ」と声をかけてあげてください。
-
可能なら、その場で安心できる誰かや場所を思い浮かべてみてください。
-
少しずつで大丈夫。トラウマ記憶に“安心の記憶”を重ねていく練習を続けてみましょう。
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悩んだとき。
ひとりで抱え込みそうなとき。
まだ「相談」と呼べるほど、言葉になっていないとき。
自分の本音がどこにあるのかわからなくなった心に、
小さく光が灯るように──
あなたが あなたに戻れるように──
そんな願いを込めて書いています。
🌊 第4作目:『水のほうへ ―― 光と闇の法則・澪編』
がんばっているのに、なぜか息が苦しい。
ちゃんと話しているはずなのに、心がすり減っていく──
「強くなること」を選び続けてきた女性・澪が、
もう一度“自分に戻る”までを描いた、静かな再生の物語。
境界線・呼吸・安心感をテーマにした一冊です。
🌙 第3作目:『話してるのに伝わらない夫と、心がすり減る妻』
「どうしてこんなにすれ違うの?」
「話しているだけなのに、なぜ傷つくの?」
夫婦・パートナー間で起こる
見えない心理のズレを言語化し、
境界線の視点からほどいていく一冊。
🪞 第2作目:『光と闇の法則 ―― わたしを映す8つの鏡』
HSP気質、インナーチャイルド、自己肯定感の低さ──
心の奥にあるテーマを
「8枚の鏡」という物語構造で、やさしく見つめ直す本。
自分を責めるループから抜けたい人へ。
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